善正寺について
- 寺院名
- 上宮山 善正寺
- 宗派
- 真宗大谷派
- 本山
- 真宗本廟(京都東本願寺)
- 所属
- 新潟教区第2組
- 所在地
- 〒941-0007 新潟県糸魚川市大和川1711番地
- 電話
- 025-552-5447
歴史
西暦1234年頃、真言宗の僧侶・教俊が早川谷・砂場の地に「上宮山宝寿院」という寺院を建立したことが、善正寺の始まりとされています。
それよりも20年ほど前、浄土真宗の開祖である親鸞聖人が、流罪の身として現在の上越市にお越しになりました。教俊はその親鸞聖人の教化を受けたという記録が残っていますが、その時すでに僧侶であったのか、それをきっかけに仏門に入ったのかは定かではありません。
やがて親鸞聖人が越後を発ち関東へ移られた後、教俊は聖人の元へ安否を訪ねました。その際、親鸞聖人ご自身も帰依されていた聖徳太子の木像を教俊に授けたと伝えられています。その木像を持ち帰った教俊は、聖徳太子の別名である「上宮太子」から山号をとり「宝寿院」を建立したと推察されています。
その後数代を経て戦国時代、上杉謙信の家臣であった薗田郷助成忠が出家し、宝寿院の僧侶・善正と名乗りました。その後、織田信長と本願寺の対立によって勃発した石山合戦において、善正は本願寺勢力に参戦し、目覚ましい活躍をしたといわれています。10年に及んだ石山合戦は本能寺の変によって終幕を迎えました。
善正はその功績を本願寺法主・顕如上人に讃えられ、「善正寺」の寺号、本尊、そして顕如上人直筆の名号を授けられました。これを機に宝寿院は善正寺と寺号を改め、浄土真宗へと改宗しました。
このような由緒を持つ善正寺は、後に京都・二條家の祈願所とされたこともあり、寺紋が「下がり藤二條紋」となっています。また同時期には京都の中院家からお輿入れがあるなど、公家との深いゆかりを持つ寺院でもあります。
善正寺は江戸時代中期に新たに再建され、約300年にわたって維持されてきましたが、長年の風雪に耐えられなくなり、移築再建が行われました。5年の歳月をかけて、平成5年(1993年)に現在の大和川の地に本堂が完成しました。
現在の大和川にある善正寺は、その移築再建によって生まれた新たな姿です。
砂場の旧境内
現在の砂場には納骨堂のみが残り、かつての本堂はありませんが、境内には後に建立された相馬御風の歌碑があります。
相馬御風は糸魚川市出身の歌人で、数多くの校歌や童謡を作詞したことで知られています。御風は砂場の善正寺にも清遊したとされており、その折に詠んだ歌が次のものです。
わけのぼる 坂路はいかに 苦しとも
み仏したひ ゆくとおもへば
当時の善正寺住職の求めによって書かれた書が残されており、その筆跡がこの歌碑にも刻まれています。
また境内には、樹齢200年ともいわれる高さ15mに及ぶ枝垂れ桜(市指定文化財)や、市内最大級の大銀杏の木もあり、春の開花時期には多くの方が訪れます。